翡翠のビオトープ

不協和音に満ちた世の中の静穏な間奏。

死を想い、生を全うする

中島美嘉が歌う「僕が死のうと思ったのは」

 

「死にたい」と言うことが一種のタブーとされる社会。

苦しい、つらい、逃げたい、寂しい、心の温もりを感じたい、と言うことでさえ、自分の中の壁を打ち破って伝えないといけない。

誰もが一度は「死にたい」と思うことがある。

 

・寝付けず酔ったような頭で早朝の駅に立ち、虚ろな目でホームを眺める日
・深夜に疲れた身体で憂鬱な気持ちで摩天楼を見上げる日
・坂を登って帰宅して行く人をよそに、坂を下っていく自分の姿が人生を暗示しているように感じる日
・絶望感に打ちひしがれて、包丁の柄を握ってしまった日

 

そんな日常を生きる人だって沢山いる。

 

それが、甘えだとか、大袈裟だととか、言われるんだけど、
そうやって相対的に切実な感情を否定してしまう前に、絶対的なものとしてそれに向き合って欲しい。

 

だって、

 

「死にたい」

 

という感情は、精一杯の

 

「生きたい」

 

気持ちの表明だから。

 

いじめを受けている子やうつ状態にある人が言う、

 

「大丈夫」

 

という言葉。それは、

 

「大丈夫じゃない、助けて欲しい」

 

という気持ちの裏返し。

 

人と上手く接することができなくて、

 

「構わないで」

 

と突き放して言う、或いは、自分で何とか解決しようとするのは、本当は

 

「心の温もりを感じたい」

 

から。

 

そうやって、言葉の裏返しに気付いてあげる、気付いてもらうことがどんなに大変なことか。

 

そんな自分の気持ちを吐露したいし、分かって欲しい。

 

分かってあげるには、自分もそういう経験がないと中々分からない。

 

学校や職場で元気に一生懸命生きている、笑顔で接してくれる人が、家では悲痛に打ちひしがれていて、涙を流していることが想像できるだろうか。

 

うつ病やいじめ、差別、その他の悩み、そうした「心の葛藤」を持つ多くの人は表面に出さないし、人に分からないように生きている。

 

でもそれは、「本当に強い」からだと思う。自分で何とかしようと思えるのは、誰かへの親切心や愛情があるからこそ。

 

だから、あとは、思い切って友人や家族に相談してみる。

 

周りの人は、察してあげるようにすべきだし、経験がある人は周囲の人の機微を感じ取れることも多い。

 

本当に人生で一番大切な人は、身近な人、周囲の人。

 

そういう人を大事にしてこそ、地域の人や顧客や、世界中の困っている人への手助けもできる。

 

蟻地獄の泥沼にはまり引き込まれそうな時に、縁で手を伸ばして掴んでくれる、そして、引き上げてくれる人が1人でもいてくれるといい。


そんな想いを引き出してくれた中島美嘉の曲、「僕が死のうと思ったのは」

 

強烈なタイトルだけど、歌詞と世界観が琴線に触れました。

 

楽曲提供はamazarashiの秋田ひろむ

※参考記事↓

http://www.cinra.net/interview/2013/11/21/000000

今回初めてその存在を知ったけど、自身の経験と背景に裏打ちされた示唆に富む歌詞を書かれている。

 

中島美嘉がそれを歌うことで、心の響板を震わす彼女の声に載せて、その歌詞の意味や世界観が伝わってずっしりと染み込んでいく。そんな曲です。

 

歌詞:http://www.uta-net.com/song/150037/
ライブ動画:https://youtu.be/QL3T2Nzcqcs

 

僕は歌詞検索からこの曲を知りました。自分が聞きたい感情や状況の曲を探したいときは本当に良いです。

 

歌詞一部抜粋↓ーーーーーーーーーーーーーー
僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから

僕が死のうと思ったのは、あなたが綺麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ
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「死にたい」と思っているのに、必死に生きている人は、それだけ強い人間。弱さを受け入れる強さ、もある。

 

そして、その弱さをさらけ出すことは、人間味があり、人間らしいことだと思う。

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